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2019年7月2日【オピニオン】

クライスラー復活の立役者リー・アイアコッカ氏、94歳で逝去

坂上 賢治

 

 1970年代に米フォード・モーターの社長を務め、その後、破綻寸前のクライスラー(現、FCA/フィアット・クライスラー・オートモービルズ)会長として同社の復活を采配したリー・アイアコッカ(Lido Anthony Iacocca)氏が7月2日に、カリフォルニア州ベルエアの自宅でパーキンソン病起因による合併症により94歳で逝去した。(坂上 賢治)

 

 今から94年前の1924年10月15日、米国東海岸に沿ってニューヨークから西に145キロメートルに位置するペンシルベニア州アレンタウン(フィラデルフィア、ピッツバーグに次ぐ同州第3の都市)の裕福なイタリア系移民の子息として誕生した同氏は、その後に訪れた大恐慌の荒波を何とかやり過ごし、同地域で難関のリーハイ大学で機械工学と管理工学を学んだ。さらに同じ東部地区の名門校であるプリンストン大学大学院で修士号を取得。

 

 学生生活を謳歌して就職試験に臨んだのは、第二次世界大戦が集結して間もない1946年8月。当時はGMに次ぐ米国第2位の自動車メーカーだった「フォード」に入社した。

 

ちなみに当初は、学生時の専攻を踏まえて技術畑への配属を進められたアイアコッカ氏だったが、あえて販売に関わりたいとの希望を嘆願してセールス畑に着任。東海岸地区の管理職を歴任するなど着実にキャリアを積み上げていった。

 

その流れが一足飛びに変化したのは1960年代になってからのこと。ローンの販売ソリューション開発で頭角を現し、当時のロバート・マクナマラ社長に引き上げられ、総支配人兼副社長に就任する。

 

 その後の成功物語は、読者各位にもお馴染みのもので、ベビーブーマー向け中型クーペ「マスタング」の開発責任者に就くや、日本でもトヨタ・セリカが後の1970年に模倣した多彩なオプションの組み合わせを通して自分に相応しい個性的なクルマに仕立て上げる「フルチョイスシステム」を導入。これによって米国自動車史に残る金字塔を打ち立てた。

 

以降、着実に出世街道をひた走って遂にフォード社長となったアイアコッカ氏は、アレハンドロ・デ・トマソ氏から買収したブランドを下敷きにV8スポーツカーの「パンテーラ」を開発するなど独断的な経営手法を相次いで披露。その結果、会長職のヘンリー・フォード2世から疎まれ「俺は、お前が好きではなくなった」との一言で32年間務めたフォードから叩き出される。

 

 そんな1978年の秋。大型車戦略の不発や財務経営の不手際が原因で、経営危機状態に陥落していたクライスラーのジョン・J・リカルド会長に請われて今度はクライスラー社長に就任。

 

当時、自身の年俸を1ドルとし労働組合と対峙(後のスティーブ・ジョブズも1997年にアップルコンピューターに返り咲いた時、自身の経営姿勢を明らかにするため年俸1ドルを貫いた。アイコッカ氏以降、「年俸1ドル」は米国企業経営者の姿勢を示すための一手段となっている)するななどで経営危機を打開したアイアコッカ氏は、会長職となった翌1979年に債務保証法を楯に連邦政府から15億ドルの資金調達をもぎ取る。そしてこの資金を糧に中・小型ミニバンでヒット商品を送り出し、1987年に遂に黒字化を果たす。

 

 ただ一方で、クライスラー時代に於いても独断的な経営手法は変わらず。多くの成功を得た換わりに、その分失策も重なり、役員会からの反発を受けた彼は1992年にクライスラーを追われた。
しかしアイアコッカ氏は、その後も血気盛んで、同氏が「投資会社と共にクライスラーの敵対的買収に乗り出す」との噂が米自動車産業界に飛び交う。
この噂を耳にした当時クライスラー会長のローバト・イートン氏が狼狽。これが契機となってクライスラーとダイムラーの合併を推し進める切っ掛けを作ったり、1999年にはEVメーカーの旗揚げを模索するなど、話題に事欠かなかった古き良きアメリカの経営者像を体現する人物であった。

 

 そのため世のビジネスマン達には、1984年に同氏が上梓した「アイアコッカ、わが闘魂の経営(Iacocca:An_Autobiography/http://www.leeiacocca.com/ )」の世界700万部の売上で著名。米産業界を代表する経営者として伝説的人物となっている。

 

なおFCAは、70年代から90年代当時のクライスラーが経営危機を乗り越え、独自の競争力を手中にするという当社の歴史上で、彼は重要な役割を果たしました。彼は世界の自動車産業界で偉大なリーダーのひとりでした。
私達は彼の足跡から学び、飽くなき挑戦を繰り返す彼のDNAを受け継いでいきますとのコメントを残している。

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域の取材活動を経て同社出版局へ。コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に環境&リサイクル紙、車両ケア&整備ビジネス専門誌等の創刊誌編集長を歴任。独立後は一般誌、Web媒体上でジャーナリスト活動を重ね30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

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1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

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日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

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(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

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経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。