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2019年8月28日【オピニオン】

独VW帝国を築いたピエヒ氏、レストランで倒れて急逝

坂上 賢治

 

 フォルクスワーゲンAG(本社:ドイツ・ニーダーザクセン州ヴォルフスブルク、グループCEO:ヘルベルト・ディース)並びに同グループ傘下企業各社は、独・現地時間の8月28日、ポルシェAG元監査役のフェルディナント・ピエヒ氏が82歳で逝去したとの報道発表を行った。(坂上 賢治)

 

 

ポルシェAGの執行委員会・会長のオリバー・ブルーメ氏は、「彼の逝去は、ポルシェにとって大きな損失です。当社を含む私たち企業グループへの深い愛情と、飽くなき技術への貢献によって、今日の傑出した業績と成果を築き上げてきたその勇気と情熱に感謝します。

 

 

彼が生涯を掛けて行ってきた戦略的な経営判断を通じて、私たちグループ企業は現在に至る事業の基礎を築きました」と語っている。

 

 

 現代スポーツカーの範となる「ポルシェ911」シリーズを生み出した今のVWグループの創業者フェルディナンド・ポルシェ博士の娘、ルイーゼ・ポルシェを母に持つピエヒ氏(父親はフェルディナント・ポルシェ博士のビジネス・パートナーで弁護士のアントン・ピエヒ氏)は、偉大な祖父直系の孫として1937年にウイーンの地で誕生。
フェルディナンド・ポルシェ博士からクルマ造りの才能を引き継ぐと共に、現在のフォルクスワーゲンAGを筆頭とする今企業グループの経営に多大な影響を及ぼした。

 

そんな同氏のキャリアスタートは、チューリヒ工科大学で学んだ後の1963年4月1日、シュトゥットガルト-ツッフェンハウゼンで、当時のポルシェKG(合資会社)のエンジンテスト部門の見習い社員として始まった。

 

 

後にタイプ904レーシングカーの6気筒レースエンジンの設計を手掛け、1966年に車両テスト部門の責任者に。現代のポルシェ911シリーズでも欠くことの出来ない6気筒ボクサーエンジンの伝説は当時の彼が示したリーダーシップの賜物であり、1968年にピエヒ氏はポルシェKGの車両開発部門の責任者に任命され、1971年には同社執行委員会で技術部門トップに登り詰める程の実力を示した。

 

 中でもモーターレーシング領域では、数え切れない成功を手中にした。特に彼自身も生涯所有し続けたとされるタイプ917のレーシングマシーン(1969年に設計)は、長きに亘るポルシェの歴史上で最も成功したレースカーのひとつとされている。
また1970年に彼主導の下で917がルマン初勝利を成し遂げたことは、ポルシェにとって新時代の始まりを告げた出来事として印されている。

 

 

ポルシェKGの株式会社への移行に伴い「ポルシェは、もはやフェルディナンド・ポルシェ博士を端を発する一族だけに占有される存在ではないという決定が下され、1972年にビエヒ氏は一族の影響力を薄めるため、子会社のアウディへ移籍する。

 

同氏は転籍先のアウディでも技術領域で積極的な取り組みを見せる。特に拘ったのは5気筒エンジン開発だ。ピエヒ氏は、代表取締役としての立場から同エンジンの開発に携わって成功を収める。さらに今日のアウディの顔とも言える4WDシステム「クワトロ」をモータースポーツ活動を経て実用化もさせた。

 

 

 その後の1988年にアウディの取締役会長に。1993年にはフォルクスワーゲンAGの取締役会長職となり、2002年にはフォルクスワーゲングループの監査役会・会長に選出された。
この間、企業グループの親会社にあたるポルシェAGの経営からは離れた立場にあったが、2012年に上位企業のポルシェAGをフォルクスワーゲンAGの傘下に併合する下克上が起きる。これによりピエヒ氏は、事実上ポルシェを頂点としてきた企業グループの経営トップに返り咲く。

 

 

 しかし彼は創業者の「血統」を威光に、持ち前のクルマ造りの才能だけを糧に企業グループの玉座に居座り続けた訳ではない。1991年にはチェコの老舗自動車メーカーのシュコダを、1996年にはかつてフィアット傘下で躍進していたスペインのセアトを獲得して東欧・南欧に事業拠点を拡大。

 

 

1999年には、イタリアのスポーツカーブランド「ランボルギーニ」をグループ傘下に加えるなど積極的な企業買収を繰り返し、ベントレー、ブガッティ、ランボルギーニ、アウディ、ポルシェ、セアト、シュコダ、フォルクスワーゲンなど都合12の自動車ブランドを抱えてグループ全体の自動車販売台数を1千万台の大台に乗せ、国際市場でトヨタ自動車とトップシェアを競い合う企業帝国を築き上げている。

 

 

 そして遂に迎えた2015年4月25日に転機がやってきた。ビエヒ氏が当時のフォルクスワーゲンの監査役会で、マルティン・ヴィンターコーン氏(フォルクスワーゲンAG代表取締役社長/当時67歳)の排除を試みた際、くしくも「ピエヒ対ヴィンターコーン対決」という権力闘争に発展。

 

 

これを解決する必要に迫られて開かれた緊急監査役会の投票で、ピエヒ氏はヴィンターコーン氏にまさかの敗北。ピエヒ氏の妻のウルズラ・ピエヒ氏(当時58歳)も同日付で監査役を辞任。これにより最高権力者の座から78歳で退くことになった。
ちなみにピエヒ氏の死亡原因は現段階では明らかになっていないが、南部バイエルン州のレストランで25日に倒れ、搬送先の病院で亡くなったとされている。

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域の取材活動を経て同社出版局へ。コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に環境&リサイクル紙、車両ケア&整備ビジネス専門誌等の創刊誌編集長を歴任。独立後は一般誌、Web媒体上でジャーナリスト活動を重ね30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

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1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

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日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

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(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

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経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

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1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。