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2023年7月8日【イベント】

マクラーレンが創設60周年記念イベントで披露した名車

山田清志

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マクラーレン・オートモーティブは7月8日~9日の2日間、東京都港区の六本木ヒルズ大屋根プラザで「創設60周年記念イベント」を開催した。それに先駆けて、7月6日にはグランドハイアット東京でプレスレビューを行い、会場となったグランドボードルームでは往年の名車や最新のスーパーカーを披露した。(経済ジャーナリスト・山田清志)

 

モータースポーツ3冠を達成した唯一のチーム

 

「今年2023年は、ブルース・マクラーレンがレーシングチームであるブルース・マクラーレン・モーターレーシングを創設してからちょうど60年目を迎える。本日会場で披露したマクラーレンの実車は、現在マクラーレン・オートモーティブの根幹をなすヒストリックカーとなる。これらの車両がなかったら、今のマクラーレンは存在しなかった」

 

中国担当マネージング・ディレクターのポール・ハリス氏はプレスレビューの冒頭挨拶でこう述べた。

 

1937年生まれのブルース・マクラーレン氏は、生まれ故郷であるニュージーランドのオークランドで学んだあと、優れたエンジニア兼イノベーターへと成長し、レーシングドライバーとしても成功を収めた。なにしろ、自らレース車を製作して、その車でレースに参戦して優勝してしまったほどなのだ。

 

1958年には、「ドライバー・トゥ・ヨーロッパ」という奨学金をかけたレースで優勝。有望なレーサーをイギリス留学させるという制度の第1号となっている。59年にフォーミュラ―1(F1)のデビューを果たし、最終戦のアメリカグランプリ(GP)で初優勝した。22歳と104日での最年少優勝は43年間破られなかったそうだ。

 

 

「ブルースが26歳で設立したマクラーレンは、Can-Am選手権で5勝、インディ500で3勝、ル・マン24時間レースで優勝、F1で183勝、F1で493回の表彰台、そしてF1世界選手権で20回のタイトルを獲得した。インディ500での勝利、F1モナコGPでの勝利、ル・マン24時間レースでの勝利というモータースポーツ3冠を達成した過去100年で唯一のチームである」とブランド・アンバサダーのアダム・リーブス氏は話し、こう付け加えた。

 

「マクラーレン。2つの企業、そして一人の人物。若かりしニュージーランド人の夢。この夢は現役ドライバーとチーム、すべてのオーナー、従業員、そして世界中のマクラーレンファンによって今日も生き続けている。そして、これはこれからもずっとずっと続いていく夢なのだ」

 

マクラーレン・ロードカーの起源となるクルマ

 

それでは、会場で披露されたクルマを紹介しよう。「M6GT」(1969年)、「MP4/4」(1998年、ベルギーGP優勝車)「MP4/5B」(1990年)、「F1」(1993年)、「MP4-12」(2011年)、「GT」(2019年)、「アルトゥーラ」(2021年)の7台だ。

 

 

M6GTは、ブルース・マクラーレン氏による、すべてのマクラーレン・ロードカーの起源となるクルマ。当時の最先端レース技術に基づいてつくられたクルマで、超軽量で官能的な加速感を誇るモデルだった。

 

ブルースの設計では、パフォーマンスとハンドリングはもちろん、安全性も常に考慮されて、軽量、低重心、サンド、そして信じられないほどの俊敏性を誇ったという。想定最高速265km/h、0-160km/h加速8秒という当時では異次元のパフォーマンスを実現していた。しかし、年産250台の量産モデルを生み出すというプロジェクトは、プロトタイプを4台生産したところで、1970年のブルース氏の死によって潰えてしまった。

 

 

MP4/4は、アイルトン・セナとアラン・プロストの両ドライバーによってドライブされたマシンで、1988年のF1世界選手権で16戦中15勝の最多勝利記録樹立と、コンストラクターズ/ドライバーズのダブルタイトルを獲得。史上最も成功したF1カーと言われている。

 

MP/5Bは、1990年F1世界選手権でアイルトン・セナとゲルハルト・ベルガーの領土ライアーが乗車したマシンで、セナが6勝を挙げてドライバーズチャンピオンを獲得した。この車両は前作のMP4/5から改良されたバージョンで、エンジンのパフォーマンスとシャーシの安定性が向上、さらに新しいテクノロジーが取り入れられ、空力性能も向上した。

 

 

F1はパワー、スピード、比類なきクオリティを目指して技術の粋を集めたスーパーカー。妥協なき設計と製造によって、公道でもMP4/4と同じことを成し遂げようとした。アルミニウムよりも軽量で強固なカーボン・ファイバー・シャシーを採用して製造された最初のロードカーである。車両重量が1138kgで、V型12気筒自然吸気6.1リッターエンジンを搭載し、最高速度が391km/h。

 

白紙の状態からスタートした初のPHEV

 

 

MP4-12Cは、伝説的なマクラーレンF1以降、初めてマクラーレンがデザインし、製造した量産モデル。マクラーレンの真髄ともいえる革新的なデザインとレースカー直系のテクノロジーを持つスーパーカーと言われている。ボディラインが生み出すカーブには、何百時間もの高度なシミュレーションと何週間もの風洞試験を繰り返した。3799ccの90度V型8気筒エンジンを搭載し、最高速度は333km/h。0-100km/hが3.1秒で、0-200km/hが8.8秒となっている。

 

 

GTは2019年に発表されたマクラーレン初のグランドツアラー。720Sと同じプラットフォームを採用し、荷室が大幅に拡大している。フロントに150L、リアに420Lの収納を備えていて、ゴルフバックが収納できる。車両重量は1530kgで、3994ccのV型8気筒ツインターボエンジンを搭載し、最高速度は326km/h。0-100km/hは3.2秒、0-200km/hは9秒だ。

 

 

アルトゥーラはマクラーレン初のプラグインハイブリッド車(PHEV)で、今年度から本格的にデリバリーをスタートした。「アルトゥーラは白紙の状態からスタートし、全く新しいマクラーレン・カーボン・ライトウェイト・アーキテクチャ、MCLAと呼びますが、その中核となっている。ハイパフォーマンス・ハイブリッドパワートレインを筆頭とする新要素はこれだけにとどまらず、徹底した軽さの追求と、かつてない空力効率の進歩が、ミニマルで大変美しい新デザインへと昇華した」とハリス氏は説明する。

 

2993ccのV型6気筒ツインターボエンジンと70kWのモーターを搭載し、最高出力が680PSで、最高速度が333km/h。0-100km/hが2.9秒、0-200km/hが8.3秒となっている。また、バッテリーだけで約30kmの走行が可能だ。

 

マクラーレンの2023年1~6月の販売台数は前年同月比48.4%増の92台。コロナ以前の2019年には353台を記録した。「在庫は今、ほとんどない状態で、お客さまをまたしているので、非常に申し訳なく思っている」と日本法人の正木嘉宏は話していた。

 

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。