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2023年9月26日【イベント】

ランチア・ストラトス、国際レースの初勝利から今年で50周年

坂上 賢治

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ランチアを傘下に抱えるステランティスが、国際ラリーの歴史上でも最も成功したクルマのひとつだと謳うストラトス。同社は2023年9月25日、かつてサーキットとヒルクライムを公道で結んで開かれた国際長距離レース〝ツール・ド・フランス・オートモビル〟(Tour de France Automobile/1973年大会)で、ランチア・ストラトスが首位でゴールラインを潜ってから50年を迎えることを祝った。( 坂上 賢治 )

 

祝賀の舞台は、フランス南西部シャラント県アングレームにある〝サーキット・デ・ランパール(Circuit des Remparts)〟。ランチア・ストラトスのステアリングを握りヨーロッパ・ラリー選手権で2度優勝したベルナール・ダルニシュ(Bernard Darniche)氏を筆頭に、旧市街の古代道を転用したこの旧レースコースに多くのゲストを招いて祝賀イベントを実施した。

 

 

この席上で、ランチア・ブランドのCEOを務めるルカ ナポリターノ氏は、「今日、私たちは〝la bête à gagner〟として知られる史上最も成功したラリーカー、ランチア・ストラトスの初勝利50周年を祝います。

 

ランチア・ストラトスは、今や037やデルタと共にラリー界の伝説となっているクルマです。しかし、歴史に記された偉業は、それだけではありません。

 

ランチア・ブランドのCEOを務めるルカ ナポリターノ氏

 

ランチア・ストラトスは、ランチアブランドの歴史上に於いても象徴的なクルマのひとつです。それはモータースポーツシーンでの名声を獲得するために生まれたパーパスビルトマシンというだけでなく、丸いヘッドライトとリアランプ、空気力学的に考え抜かれたボディフォルム、個性的なインテリアなど、ランチアの未来を示す重要なデザイン要素が備わっているからです。

 

 

ちょうど50年前の1973年、当時はまだプロトタイプ車であった同車のステアリングをレーシングドライバーのサンドロ・ムナーリ(Sandro Munari)と、ナビゲーター役のマリオ・マヌッチ(Mario Mannucci)のデュオが運転して4月のファイアストーン・ラリーでトップを快走。これが今日へと続く物語の第一章となりました。

 

そして同じ年に当時国際格式であったツール・ド・フランス・オートモビールで初優勝を果たし、それが以降の快進撃の皮切りとなったのです。実際、ランチア ストラトスは、次々と勝利を重ね、正真正銘のラリーシーンの征服者となりました。

 

モンテカルロラリーで3回連続優勝し、市販車としてストラトス・ストラダーレが発売された1974年に世界コンストラクターズ・チャンピオンシップで優勝。

 

 

1975年のレースシーズンからは、スポンサーであるアリタリア航空の白と緑の色を採用し、航空会社のトリコロールロゴを二重にして、くさびの形で調和させ、モータースポーツ史上最も美しいカラーリングのひとつを生み出しました。

 

1976年には、3年連続を記した世界コンストラクターズ・チャンピオンシップを獲得。1977年のFIAラリー・ドライバーズ・カップでも優勝しました。

 

この祝賀会に出席したバーナード・ダルニッシュ(Bernard Darniche)氏は、1976、1977年のヨーロッパ ラリー選手権で連続優勝し、世界ラリー選手権のキャリアの中でも勝利。7ラウンドのうち4回以上で栄冠に酔いしれました。

 

そんな同車は、1970年秋開催のトリノショーでの〝ストラトス ゼロ〟プロトタイプからインスピレーションを受け、後のランチア・ストラトスへと繫がるストラトスHFプロトティーポが翌年発表されました。

 

 

この未来的なくさび形の車は、国際的なラリー・シーンでの勝利を目指すために設計され、そのフォルムのフロントエンドはホイールアーチと調和しており、傾斜したフロントガラスはフロントピラーを取り囲み、サイドウィンドウまで続いていました。

 

ルーフは小さなリアウィンドウの上に垂直に下がり、大きなボンネットに包まれ、2つの軽量シェルで構成されたボンネットとトランクには、それぞれにフェンダーが含まれているもので、レース サポート中に素早い行動ができるように広い開口部が設けられていました。

 

エンジンはフェラーリ・ディーノの246をベースにしたV6エンジンで、ドライバリティー重視の2座席インテリアも革新的でした。そんなランチア・ストラトスが、未来のランチアへインスピレーションを与えたクルマとなったのは偶然ではありません。

 

 

そんなストラトス、037、デルタなどのヴィンテージランチアと、過去と未来を繋ぐ対話は、今後10年間のブランド・マニフェストである〝Lancia Pu+Ra HPE〟にも見られます。

 

100%電気自動車の同コンセプトカーは、エクステリア並びインテリアデザイン、電動化などモビリティとしての持続​​可能性、エフォートレスなスタイルという点で、我々のブランドが目指すべきビジョンを体現しています」と語っている。

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

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1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

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1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

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日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

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(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

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経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

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1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。