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2023年11月7日【トピックス】

日本自動車殿堂、2023の歴史遺産車4台を選定

坂上 賢治

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特定非営利活動法人 日本自動車殿堂( JAHFA /ジャファ、所在地:東京都千代田区、代表:藤本隆宏 /JapanAutomotiveHallofFame )は11月7日、2023年度の歴史遺産車4車を選出した。( 坂上 賢治 )

 

選出した4台とその車両説明は以下の通り

 

オートモ号(1925年)
オートモ号は、大正末期に日本初の量産自動車として約 300 台が市販されるとともに、 初めて輸出された。また国産車開発を目指す多くの技術者を輩出した日本の自動車産 業の端緒となった歴史的名車である。

 

写真は、1999年に国立科学博物館とトヨタ博物館との共同プロジェクトによって復元されたもの

 

ダットサン ブルーバード(510型)/DATSUN 510 (1967年)
ダットサン ブルーバード(510 型)/DATSUN 510 は、多くの新技術を積極的に導入した 小型乗用車として国内はもとより米国でも高く評価され、国際ラリー等で活躍し、日本車 の知名度向上に貢献した歴史的名車である。

 

 

三菱 パジェロ(1982年)
三菱 パジェロは、高い悪路走破性に加え乗用車感覚で乗れる多目的車として開発 され、四輪駆動車の新たな市場を開拓するとともに、パリ・ダカールラリー等、国際的な 自動車競技で活躍した歴史的名車である。

 

 

マツダ 787B (1991年)
マツダ 787B は、最高峰の耐久レースであるルマン 24 時間レースにおいて純国産車及 びロータリーエンジン車として初の総合優勝を果たすとともに、“飽くなき挑戦”を続け、日本の技術を世界に知らしめた歴史的名車である。

 

 

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また各車の選出にあたり11月7日時点に於いて、当該3車に係る日産自動車、三菱自動車工業、マツダから選出車両についての報道発表が発信されている。

 

当該個別企業の報道発表の内容は以下の通り

 

日産自動車
「ダットサン ブルーバード(510型)/DATSUN 510」は1967年8月に発売された「ダットサン ブルーバード」の3代目のモデルになります。

 

510型は2ドア・4ドアセダン、エステートワゴン、バンに加え、1968年には2ドアクーペが追加。当時新開発の高性能エンジンや、ハイウェイ時代を象徴するようなシャープなスタイリング。また、高い基本性能と実用性が大好評となり、約5 年間でグローバル販売累計155 万台以上の大ヒットとなりました。

 

さらに1970 年には、セダン1600SSSが第18回東アフリカ・サファリラリーで総合およびチーム優勝し、その優秀性を世界にアピールしました。

 

三菱自動車工業
初代『パジェロ』は、オフロードにおける高い走破性と乗用車並みの扱いやすさを両立させた本格オフロード4WD車として1982年に発売しました。

 

多くのお客様から支持され、RVブームや4WDブームの牽引役として確固たる地位を確立した『パジェロ』は、2021年の生産終了まで4世代に渡り累計325万台が生産され、170ヵ国以上に輸出、世界中のファンから親しまれてきました。

 

国内では、1994年に軽自動車『パジェロミニ』、1995年にコンパクトSUV『パジェロジュニア』、1998年にはコンパクトSUV『パジェロイオ』をラインアップするなど、『パジェロ』シリーズは三菱自動車を代表するモデルとなりました。

モータースポーツでは、世界一過酷なラリーといわれるダカールラリーに発売翌年の1983年から参戦し、1985年に日本車初の総合優勝。同ラリーには2009年までに26回参戦し、7大会連続を含む通算12回の総合優勝を果たし、走破性と耐久性の高さを実証しました。

 

モータースポーツ参戦で得られたノウハウは『パジェロ』をはじめとする市販車の商品力強化に活かされ、四輪制御技術や耐久信頼性技術は三菱自動車らしさを構成するコア技術として脈々と受け継がれています。

 

マツダ
マツダ車が「日本自動車殿堂 歴史遺産車」に選定されたのは、2003年のコスモスポーツ、2019年の初代ロードスターに続いて、今回が3回目となります。

 

マツダ787Bは1991年の第59回ルマン24時間レースで日本車として、そしてロータリーエンジンで初めて総合優勝を成し遂げました。

 

1970年に始まったマツダのルマン挑戦は困難と苦難の連続でしたが、そこから培われた「飽くなき挑戦」の精神は人の力を信じ、どんな技術的困難にも立ち向かいマツダらしい価値を創造する組織風土となりました。

 

「飽くなき挑戦」の象徴であるロータリーエンジンは今年11年ぶりにその機能を動力源から電動車の発電源へと姿を変えて復活しました。カーボンニュートラルなどの新しいモビリティーの時代へ向け、新規開発された8C型ロータリーエンジンは「MAZDA MX-30 Rotary-EV」へ搭載され、航続距離に不安の無い電動車の新しい提案に活用されています。

 

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なお、先の4車の筆頭に挙がったオートモ号は、今や歴史遺産車としての栄誉を直に受け継ぐ企業も後継車両も存在しない。但し歴史を遡ると、オートモ号の開発で腕を磨いた技術者が、後に生まれた自動車メーカーの現場へと流れていくなど、現代の日本の自動車産業に繫がっていく背景がよく分かる。

 

そんなオートモ号は、三菱の創業者岩崎弥太郎の従兄弟にあたる豊川良平の長男として生まれた豊川順彌氏(とよかわ じゅんや/1886年生まれ)の手によって、黎明期とも呼べない時代の国内自動車産業から誕生した。

 

そもそも豊川順彌氏は、幼少期から陸軍工廠(当時に於ける陸軍の兵器製造施設)や、造船所を散策することを何よりも好んだ少年で、以降、成人後の1912年に白楊社を立ちあげて旋盤の製作・販売などを行っていた。しかし1915年にアメリカ留学を果たしたことで自動車の魅力を知り、日本国内で本格的な自動車製造を目指すことになる。

 

その後の1921年、水冷1610ccエンジンと空冷780ccエンジンを搭載した試作車アレス号を完成させる。これにより豊川氏は、空冷エンジンを搭載した小型車の可能性に着目した。

 

2台の試作車を製作した後の1924年に、空冷エンジン搭載車で東京から大阪までの試験走行を敢行。40時間をノンストップで走りきる。同年に、この試作車の名前であったアレス号を、豊川家の祖先にあたる大伴とオートモービルを掛け合わせたオートモ号に改名。

 

翌1925年に東京・洲崎で行われた日本自動車競争倶楽部主催のレースに唯一の国産車として参戦。その成績は、並み居る大排気量・外国車を退け予選1位を獲得。決勝では2位に終わったが、9馬力のパワーしかもたないオートモ号に対して詰め掛けた3万人の観客から讃えられたという。

 

これに自信を持った豊川氏は、オートモ号の本格的生産を開始。車両販売のカタログには女優の水谷八重子を起用する斬新な試みも取り入れた…。以降は、先の日本自動車殿堂の車両説明にある通りだ。

 

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最後に日本自動車殿堂とは、国内自動車産業の発展に寄与・貢献した偉業を讃え、永く後世に伝承していくことを主活動とする団体(平成13年11月14日に法人登記)。

 

同団体によるとその理念として「この法人は、日本における自動車産業・学術・文化などの発展に寄与し、豊かな自動車社会の構築に貢献した人々の偉業を讃え、殿堂入りとして顕彰し、永く後世に伝承してゆくことを主な活動とする。

 

現在、日本の自動車産業は、その生産量や性能・品質など世界の水準を凌駕するに至り、わが国の産業の範としてその地位を得ているが、当初は欧米の自動車技術や産業を学ぶところからの出発であった。周辺の関連産業分野を含め、自動車は高度な工業製品であるが、これを先人たちは様々な工夫と叡智によって切り拓いてきた。

 

しかし、こうした努力の足跡は時の経過とともに埋もれ、その多くが忘れ去られようとしている。優れた自動車の産業・学術・文化などに情熱を傾けた人々と、その偉業を永く後世に伝承してゆくことは、この時期にめぐり合わせた我々の務めであるといえよう。

 

技術立国と呼ばれるわが国にあって、その未来を担う青少年たちが、有用な技術の成果に目を向け、技術力や創造性の大切さ、発明や工夫の面白さを認識するためにも、この活動は意義あるものと考える。これこそが日本自動車殿堂が目指すところである」と綴られている。加えて以上に係る歴史遺産車の表彰式は11月14日(火)に学士会館(東京都千代田区)にて行われる予定だ。

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

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1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

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1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

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日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

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1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

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株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。