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2019年1月30日【オピニオン】

最高速度120km/h、新たな高速走行の時代

中島みなみ

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新東名の120km/h試行では、前提条件は2点あった。
・高速道路のいわゆる設計速度が120km/h以上であること
・試行区間の約60%で6車線化(片側3車線)され、速度差がある車両の交錯が少ない

6車線あれば、速度差が開いても左端の第1車線により低速な車両の通行帯を作ることができるので、運転者にとっては使い勝手がいい。

 

ただ、同じ120km/h引上げを行う東北道は、試行区間すべてが4車線。車線は少ないが、この区間は死傷事故率が飛びぬけて低い(※表3参照)。試行後は注目が集まり、取締りも厳しくなったことから死傷事故率が下がった区間もある。

 

*交通量が少なく、運転者が他の車両の影響を受けずに速度を決定できる場合の試行1年と、施行前1年の比較。参考:東日本高速全線の2018年中の死傷事故率=3.65(速報値)、同首都高速全線=10.9件(2018年)

 

最高速度引き上げを指導する警察庁は「120km/h試行でも、まず死傷事故率をみていきたい」(高速道路管理室)と言う。少ない人身事故を増やさないことは必須条件だ。

 

比較のために一例をあげると2018年の東日本高速全線の死傷事故率は3.65件/億台キロ。首都高速は10.9件/億台キロ。最高速度だけでなく、事故防止には複数の視点が必要だ。

 

死傷事故率は施行前後で大きな変化を見せていないが、今回の110km/h↓120km/h試行では、引き上げ区間の総延長は約80kmと変わらなかった。

全国の高速道路は約8800kmある。「110km/h引上げのノウハウがある区間で、120km/hに引き上げた状態をみることになった」と、静岡県警交通規制課は慎重だ。引上げを指導する警察庁も「念頭にあるのは、設計速度が120km/hの道路。それ以外の道路は今のところ俎上にありません」と、高速道路100km/hの“常識”は、すぐには変わりそうもない。

 

しかし、静岡県警と岩手県警が、110km/h試行1か月と6か月で実施したアンケートでは《他の路線・他の区間にも広げていくべき》という賛成が《元の100km/hに戻すべき》という反対を上回った。賛意は新東名で62.8%(638人)、東北道で62.7%(376人)。反対は新東名で17.6%(179人)、東北道で16.5%(99人)だった。
120km/h試行で、この支持率がどう変わるか。こうした動向も最高速度見直しの指標となる。

 

 

取締りは、さらに強化

 

110km/h試行で、静岡県警は高速道路交通警察隊に加えて、交通機動隊のパトカーなどによる路上監視を強化。航空隊のヘリコプターを動員し空陸連携で、車間距離の詰め過ぎや追越車線を走り続ける通行帯違反を重点的に取り締まった。

 

最高速度の引き上げに伴う新たな事故の防止や、最高速度に慣れない車両へのあおり運転などを防ぐためだ。監視・取締りの強化は岩手県警でも同様に強化されている。両県警は120km/h試行でも、監視や取締りを引き続き強化する方針だ。

高速走行で半世紀以上にわたって続いた最高速度100km/hの壁は、崩れつつある。( 取材・撮影=中島みなみ / 中島南事務所 )

 

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。