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2017年12月4日【特集】

パーソン・オブ・ザ・イヤー選出の光岡進会長に訊く、光岡自動車のクルマづくり

坂上 賢治

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昭和に創業した最後の自動車メーカー
企業規模の拡大が目標ではない。夢のあるクルマづくりを求めて

 

時代が昭和から平成へと向かう時期。大手自動車メーカー達が安定した経営を続けるなかで光岡自動車は誕生した。そんな同社も来年2月に満50年を迎える。自動車業界でオンリーワンの存在を目指すとする『ミツオカ事業』の本質について同社会長の光岡進氏に訊いた。(聞き手<NEXT MOBILITY編集長>:坂上賢治)

 

光岡 進氏(プロフィール)
1939年、富山県生まれ。県立富山工業高等学校を卒業後、販社を経て光岡自動車を創業。以降、旧来の名車を連想させる「ビュート」で知名度を獲得。1996年、日本で10番目の乗用車メーカーの認可を取得した。1996年にアッパーミドルセダン「ガリュー(我流)」を。2006年にスーパーカー「大蛇(オロチ)」、2008年にオープンロードスター「ヒミコ(卑弥呼)」などを相次いで発表。今年2017年11月にRJC(日本自動車研究者・ジャーナリスト会議)のパーソン・オブ・ザ・イヤーに選出された。

 

自動車メーカー誕生の鍵となったオリジナル車は、ビュート開発前に完成していた

 

——貴社への初取材から25年余り、ここで改めて創業の背景を訊きたい。
 光岡
 中学生の頃、英MGに憧れた私は地元の高校を卒業後、日野自動車の新車営業でクルマ人生のスタートを切った。

その後、会社の事業転換で販売車種が乗用車から貨物車へと移った昭和43(1968)年の2月。近隣の農家の馬小屋を借り、板金整備工場の経営者として自らのビジネスを始めた。28歳だった。

 当時は、サニーやカローラが注目され始め、モータリゼーションが伸び盛りの時代。立ち上げた「光岡自動車工業」も半年位で欲しい設備が買える迄になった。その頃、東京・環状8号線沿線では多くの中古車販売店が立ち並び、これに倣って翌々(1970)年の5月、富山に自動車販売店の「カーショップ光岡」を開いた。

 

——自動車ブランドで特にジャガーをリスペクトする理由は、その事業背景にあると聞いているが。
 光岡
 事業拡大で視察目的の海外訪問が行える位になった頃、海外進出を考え始めた。当時の日本では、豪州地域から日本への車両買付観光が流行していたから、ニュージーランドにも訪問した。

 

その際、当地の博物館でジャガーの歴史が綴られた書物を手に取った。ジャガーは1922年、イングランド北部沿岸のブラックプールで、スワロー・サイドカー社という名前で会社を興すも、社名の重複で英国企業に訴えられ、1935年新に社名としてジャガーを選択したと聞く。

 つまり同社は当初2輪車の側車事業から自動車ビジネスに発展していった訳だが、その沿革が当時の私の心を捉えた。またこれが後にオリジナル車の「ゼロワン」を生み出す原動力になり、ゼロワンによって弊社が後々、日本で10番目の乗用車メーカーと呼ばれる原点となった。

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。