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2017年12月4日【特集】

パーソン・オブ・ザ・イヤー選出の光岡進会長に訊く、光岡自動車のクルマづくり

坂上 賢治

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実現を目指すも、幻となってしまったV12気筒エンジンの開発プロジェクト

 

——貴社の事業では、その前のビュート発売も経営上のエポックと思うが。
 光岡 確かにビュートで会社の知名度は高まったが、実際にはビュート発売前の段階で既にゼロワンは完成していた。

 

その経緯は、道路交通法施行規則が改正されたことでゼロハンカー事業を断念した後、米国車の輸入事業を始めるべく訪米したことに始まる。この際、当地で往年の名車を復刻するブームがあって、この人気ぶりに驚いた。私はこれに刺激され、そうしたレプリカ車を大きく凌駕する完成度の高い生産車造りに目覚めた。そこで富山に於いてゼロワンを開発し既に組立車として登録していた。しかし実際にどれだけの台数が売れるかが未知数だったため、発売を躊躇していた。そこで一旦、ゼロワンを眠らせておきビュートの開発に取り掛かった。

 

——その後ゼロワンを発表し、日本で10番目の自動車メーカーになった。
 光岡
 ゼロワンは一躍話題を集めクルマ好きのユーザーが歓迎してくれた。ただ爆発的に売れる見込みがなく、クルマを買って下さったお客様だけでなく、製造している我々も仕事としては実に愉しいのだが、あまり儲からない(笑)。そこで次に手掛けたのが一人乗りの「マイクロカー」販売。電動車も造った。搭載したエンジンは完全オリジナル。エンジンを独自で開発する夢を持ち続けてきたので格別の嬉しさがあった。

 

 しかし本当は、これ以前にもパワーユニット製造を目指していた。それはゼロワンのリリース後に独自のスーパーカー販売を計画していたから。既にゼロワン発表後で、有り難いことに自動車に知見を持つエンジニアが社外から集まり始めた時期だったので、社員に指示を出してオリジナルエンジンの基本コンセプトを練り上げ、設計図を書き、V12気筒の木型製作へと計画は進んだ。

 

 ただ本当にV12気筒エンジンが完成していたら光岡自動車が潰れていたかも知れない。当時、お母ちゃん(奥様の幸子夫人)に子供のオモチャを取り上げられる様に「お父ちゃん、もうお金がないから、これで終わり」と言われてしまい夢の日々があっけなく終わってしまった(笑)。

 

 そうした下地があったため、50ccのエンジンなら作り易いと考え、マイクロカーのパワーユニットは内製とした。ただエンジンの金型製造で2億5千万円掛かり、さらにユニット完成に至る総コストは積み上がったが、車両をキットカーとしたものについては32万5千円からの価格帯で販売した。

 

 商売として考えると車両価格は、あと5万円高くても良かったかと考える時もある。ただ当時は、できるだけ廉価に提供することを目指していた。商売人としてそれは間違っているかもしれないが、この姿勢は今も続く光岡自動車のポリシーであり、お客様が我々を支えて下さった理由だと心から感謝している。

 

 ちなみに部品もまだある。今も暖かい時期になると当時の車両を買って下さったお客様からお電話を頂く。弊社の役員からは部品の置き場にコストが掛かると叱られているのだが、お客様が販売車を大事にして下さっているのは有り難い限りだ。役員達からはさらに叱られてしまうと思うが、弊社を支えて下さるお客様に感謝して、いずれは敷地内により大規模な部品倉庫を備えたいと夢見ている。

 

——その後、EV事業に進出した。
 光岡 時代は確実に電動化に進むと見て2010年6月にライク(雷駆)シリーズをリリースした。2012年10月には、短距離・小口配送を需要としたライクT3(雷駆-T3)を発売した。EV研究は弛まず続けており、回生機能で燃費も向上しブレーキライニングの摩耗も少なくなる。細かな車輪制御も出来る。しかも整備性も高いから、今後、動力で動く乗りものは全て電動化するとみている。

 

 だから弊社が次に大蛇(オロチ)を造るならパワーユニットに電動モーターを積みたい。ただそれには資金が必要。従って今は「おくりぐるま」の事業を積み上げていく。

 同市場は、国内で約6千台の狭い市場だ。しかし「全てのご家族の心を支えていく」という意味で大切な役割がある。また対象車は大切に扱われる分、車齢が長く故障の可能性も考えられるから、全国に拠点網を持つ弊社がお役に立つ機会がある。そうした意味で我々が果たせる役割があると思っている。ゆえに匠の技を背景に裏方として真摯な気持ちで支えながら、新たな夢の実現にも想いを馳せているところだ。(同コンテンツは、12月4日に書店販売を開始した隔月刊誌「NEXT MOBILITY」からの記事転載となります)

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。