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2020年11月6日【企業・経営】

アウディ、4輪駆動システムの「quattro」導入40年

NEXT MOBILITY編集部

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 アウディの「quattro(クワトロ)」は、1980年3月の「サロン・アンテルナショナル・ド・ロト(ジュネーヴ・モーターショー)」で発表された。

 

そんなクワトロシステムは、トランスミッションケースから野暮なパートタイム方式のレバーが生えるヘビーデューティ4WDとは異なり、フルタイム駆動の機能そのものをセンターデフに内蔵させ、路面を的確に掴むスマートなフルタイムシステムとして名を馳せ、その結果アウディが世に送り出す新世代4WD車の代名詞として世間に知れ渡るようになった。

 

 翌1981年にアウディは、このクワトロシステム搭載車で世界ラリー選手権(WRC)に初参戦。わずか1年で圧倒的な強さを発揮してラリーの世界を席巻した。アウディチームは1982年に難なくマニュファクチャラーズタイトルを獲得。

 

その翌年の1983年には、フィンランド人ドライバーのハンヌ ミッコラ選手がドライバーズタイトルを獲得。1984年にはWタイトルを獲得。スウェーデンのスティグ ブロンクビスト選手がワールドチャンピオンに輝いた。

 

同年にアウディはショートホイールベースを備えたSport quattro、1985年には350kW(476ps)を発生するSport quattro S1を投入。1987年にヴァルター ロール選手は、これに特別な改造が施されたS1を駆って米国パイクスピークヒルクライムでも優勝を果たした。これらの勝利は、長年に亘って大きな成功を収めてきたアウディのラリー参戦史にとって、ひとつの集大成となった。

 

以降、4WDは「悪路での走破性を高める」という実用一点張りの機能ではなく、高性能スポーツカーを代弁するフルタイム4駆機能となり、それは20世紀のスポーツカーの常識を塗り替えたばかりでなく、今や高性能ラグジュアリーカーに搭載される全輪駆動機能としても広く認識されている。

 

 そんな「quattro(クアトロ)」といえば「アウディ」、「アウディ」といえば「quattro(クアトロ)」、永らくアウディブランドを下支えしたクワトロシステムが今年で40周年を迎えた。この40年間、アウディはクワトロを搭載した約1,100万台の車両を生産。その技術を磨いてきた。最も最新のクワトロは、電動トルクベクタリングを備えた電動ユニットになっている。

 

アウディは今年9月末までに1,094万7,790台の4輪駆動車を生産。この2020年の単独年だけでも生産台数は49万9,379台に上る。

 

また現在ではコンパクトモデルのA1を除く、全てのシリーズモデルにクワトロが設定されており、全体の約44%がクワトロ搭載車だ。今やクワトロはアウディブランドを支える屋台骨だと言えるだろう。

 

 そのクワトロは2019年発売の「e-tron」並びに「e-tron Sportback」で、電動4駆の時代に突入した。

 

これらのSUVモデルのフロントアクスルとリヤアクスルは電気モーターによって駆動される。サスペンションとドライブコントロールユニットは密接に連携し、駆動トルクの理想的な値を連続的に計算して、完全に可変、かつ瞬時に各ホイールにパワーを配分する。

 

優れた効率を実現するため、この電動SUVは、ほとんどの走行条件でリヤの電気モーターを用いる。

 

フロントのモーターはパワーが必要な場合の他、スリップが発生するような滑り易い路面や高速コーナリング中、あるいは車両がアンダーステアまたはオーバーステアの状態になる前にもドライビングをサポートする機能として使われる。そのため正確なハンドリングが実現可能となり、サスペンションコントロールシステムを介して安定性重視の走りから、スポーティな走りまで守備範囲が広い。

 

 一方で相次いで最新技術を取り入れても共通している点がある。それはシステムがホイールセレクティブトルクコントールと連携して作動しているところにある。

 

これによりコーナー内側のホイールを穏やかに制動することで、グリップ限界時のハンドリングを電動技術を使って改善する。また通常走行時には、スポーティなドライビングスタイルを実現するためトルクの40%をフロントアクスルに、60%をリヤアクスルに配分する。これは必要に応じて最大70%をフロントアクスルに、または最大85%をリヤに配分することも可能だ。

 

また横置きエンジンを搭載するコンパクトモデルでは、急激な重量配分の移動を改善するべく、リヤアクスルに油圧式マルチプレートクラッチを採用している。

 

同システムでは車両がコーナーに差し掛かると瞬時に前輪から後輪にトルクを伝達。例えばエンジンをミッドシップマウントとしたR8では、フロントアクスルに取り付けられたマルチプレートクラッチが必要に応じてトルクを後輪から前輪へと切り替えて伝達する。

 

 いずれにしてもこの40年間、アウディのクワトロシステムは同社のテクノロジーの象徴となってきた。クワトロは高い安全性とスポーツ性、高度な専門技術、モータースポーツでの圧倒的なパフォーマンスを示し、アウディのスローガンである「Vorsprung durch Technik(技術による先進)」を体現する。

 

それは1980年を境に名門ポルシェから技術担当責任者として招聘されたフェルディナント・ピエヒ氏(同氏はVWグループ創業者であるフェルディナンド・ポルシェ博士直系の孫にあたる)の伝説の裏付けにもなっている。

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。