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2018年6月6日【オピニオン】

SUBARU、完成検査時の燃費・排出ガス測定の異常値発見で再調査へ

坂上 賢治

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航空機製造会社として

スタートしたSUBARUの

企業風土は、事業経営のなかで弱みでもあり、またはそれが強みでもある

 

 実際問題として自動車に限らず、組立などの最末端のモノ造りの現場に於いて、いわゆる製造工場の「班長」以下のグループと、係長クラスの間に於いて、相互の意思疎通が直結しないという状況自体はどの企業でも起こるだろう。

 

しかし一方で日本の自動車市場は、既に車両への投入技術で成熟し、個々車両の性能優劣で競合他社との差別化を図ることが難しくなっている。従って、今や車両選択もブランド価値という「見た目では見えない価値」で「勝負が決まる」と言っても良い時代だ。

それゆえに経営から車両企画・設計・開発・製造に至るモノ造り全域を通して、働く従業員の一貫した「こころざし」が商品性の優劣を決めてしまう。

そう考えると、今のSUBARUは「モノ造り企業」として、今後の行く末を左右する程の難しい局面を迎えているように思われてならない。

 

その真の理由はまだ見えておらず、それは長年技術畑の人材が企業のトップを務めてきた同社に於いて、初の営業畑出身の吉永氏がトップについたことによるものなのか。

またここ7年間、現体制を支え続けて来た経営陣達の采配によるものなのか。さらには事業の大幅な伸張を実現させたストレスが、最終の車両製造の現場に押し寄せたものであるのか。または、それ以外の理由によるものかは定かになっていない。

 

 

 ここで過去を翻(ひるが)えれば、吉永社長は昨夏、東京ミッドタウンで行われた『Advertising Week Asia 2017(アドバタイジング・ウィーク・アジア2017)』の基調講演に登壇し、筆者はSUBARU伸張の理由を求めて同講演を聞いた。

 

この際、吉永社長は「今や自動車産業全体が来たるべき2020年に向けて世界市場1億台を、具体的な通過点として据えている中、SUBARUのシェアは、その全体に於ける1%に過ぎないのです」と語り、「我々SUBARUは2010年以降、ビジネス市場で好調さを取り沙汰されてきましたが、社内では目指すべき未来に向けて、今後どうやって生き抜いていけば良いのか、永らく悩んできました」と話した。

そして世界の自動車ビジネス全体が、東アジア市場の拡大に向けて一斉に走り始めるなか、「SUBARUは、そんな流れを常識的なことだとは捉えていません。

世界販売1億台規模を目前に、激しいシェア争いを繰り広げる大手自動車メーカーに対して、我々は独自の視点を持たなければなりません。それは車両販売のボリュームが最終的に勝敗を決するような土俵で、SUBARUは勝負すべきではないということです」と畳み掛けた。

 

 

それこそが吉永社長自身が云う量産自動車メーカーの規模で末席にあたるSUBARUのオンリーワン戦略を読み解く鍵であり、それが米国を筆頭とする自動車市場に於いて、SUBARUが評価されている『真の理由』であると。

 

 そのひとつは、『SUBARUが航空機会社としてスタートを切っている』こと。ふたつめは『そのために非常に技術オリエンテッドな会社になっている』こと。つまりは『常に良いモノを作りたい』と考えてしまう高コスト体質であると云う。

そしてこのSUBARUの弱点を裏返せば最大の長所になる。それこそが、SUBARUが生き残る鍵になるのだと。

つまり徹底した技術主導的な企業風土ゆえに、『開発・製造コストが勝敗を分ける戦いで、競合他社に勝つ事は難しい』という結論に行き着いたというのである。

そこで2011年に、代表取締役社長に就任したばかりの吉永氏は、全社員の完全雇用を維持しつつも、同社の自動車産業としての礎となった軽自動車市場からの撤退を決めたのだ。

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。