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2018年6月6日【オピニオン】

SUBARU、完成検査時の燃費・排出ガス測定の異常値発見で再調査へ

坂上 賢治

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車格や車両価格などを度外視

して、すべてのSUBARU車が

安全面で最高評価であることは、ごくあたりまえのことだった

 

 また今やSUBARUの金字塔となっている安全技術『アイサイト』は、同社拠点がある群馬の開発拠点で、延べ20年間も続けられてきた基礎研究がその源流になっている。

 

 

実は吉永社長はある日、まだ『アイサイト』実用化で自身がプロジェクトのゴーサインすら出していなかった頃に、そんな群馬の開発拠点で黙々とアイサイトの基礎研究を続ける技術陣に対して、ひとつの質問をした。それはこうだ。「今、生涯掛けて取り組まれている今の開発テーマは、いつ報われるか判らない。

そんな中で皆さんは、この研究開発に対して、何をモチベーションに取り組んでいるのですか」と、あえてその『答え』を訪ねたのだと云う。

そして、そこで得た答えこそがSUBARUの現在の立ち位置につながっており、ひいては、その結果が米国の自動車安全基準である「Top Safety Pick(当地の自動車安全基準の最高評価)」の全車種獲得につながっているとした。

 

吉永氏によると、この時、彼らは以下ような趣旨のことを語ったのだと云う。「SUBARUの技術陣にとしては、数あるSUBARU車のなかで特定のクルマだけが最高評価を受けること自体が異常で恥ずかしいことです。自分たちが開発して世に送り出すクルマは、車格や車両価格などを一切問わず、どのクルマであっても、全車が最高評価であることが、ごくあたりまえの事なのです。我々はクルマの安全性に対して、こうしたあたりまえの努力をしているのであり、これについては一切妥協したくありません」と。昨夏の壇上で吉永社長は、この技術者からの回答を終盤で披露してスピーチを結んでいた。

 

 そんな吉永氏の語りかけは、なんらかのモノ造りメーカーの経営者であれば誰もが感激し、羨むばかりの自社従業員達の熱く・静かな「こころざし」である。しかしその想いは、本当に車両製造の最終段階の現場にまで確実に浸透していたのか、いや浸透していたのにも関わらず、わずか数年の間に、何かが、その高い達成目標を瓦解させてしまったのだろうか。

筆者は、昨夏、吉永社長から訊いたSUBARUの強みや企業哲学は、まだまだモノ造りの現場に息づいていると信じているし、プレミアムメーカーを切り拓く道もまだ半ばだ。混迷にある現状を抜け出し、もう一度、強固なブランド価値を打ち立てて欲しいと切に願っている。(会見取材を経て、記事内容を刷新しました。MOTOR CARSより転載  )

 

同社より公表された測定値等のデータは以下の通り

 

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。