NEXT MOBILITY

MENU

2015年3月3日【オピニオン】

米・シボレー、ボウタイマークにまつわる諸説を探る

坂上 賢治

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 

 

お気に入りのクルマ、その選択肢はさまざま

 

もう随分前のハナシになるが、かつて調査会社、GfK Automotive社が調査した米国自動車オーナーが「次に購入したい新車ランキング」というものがあった。これによると、米国男性が指名した首位のクルマが「Porsche 911」、一方、女性の指名首位は「Pontiac G6 Convertible」と、男性がクルマに対して絶対性能の高さやデザインを好む一方で、女性は堅実に車両価格や実用性を重視する傾向が表れたという。

どうやら世の東西を問わず、速く美しいリアルスポーツカーを求める男のわがままは尽きることがないようだ。( 坂上 賢治 / MOTOR CARS の2015-03-31掲載記事を転載 )

 

では日本が誇るべきリアルスポーツカーとは

 

そんな我らが日本の誇るリアルスポーツカーといえば、まったくもって無粋過ぎるクーペスタイルでありながら、世界でも超絶級の動力性能を誇る日産GTR。

 

 

またはいよいよ市販間近に迫った新NSX、さらに旧いところではトヨタ2000GTあたりかとも思うが、海の向こうの米国では、1台のスポーツカーブランドが、半世紀を超える歴史のなかで根強い人気を保ち続けている。

 

短命な日本車名とは異なる「愛されブランド」

 

それは決して懐古趣味などではなく、過酷な生存競争を極めるドラッグレースにおいてもまさに現役。

ノーマル車においても直噴6.2リットルV8は、スーパーチャージャーで過給され、最大出力は650hp/6400rpm、最大トルクは89.8kgm/3600rpm。8速ATにはステアリングホイールにパドルシフトが組み込まれ、0-96km/h加速は7速MTが3.2秒、8速ATが2.95秒。0-400m加速は、7速MTが11.2秒、8速ATが10.95秒と市販スポーツカーとしては世界屈指の性能を誇る。

 

 

いやいや、元気さはそれだけではない。昨年2014年、仏ル・マン市のサルテ・サーキットで開催された「ル・マン24時間耐久レース」には、LM GTE Proカテゴリーに最新車ベースの2台が打ち揃い、うちカーナンバー73番の1台が1位と1周差の2位。そもそも同車は過去に7度もの優勝を成し遂げているのであるが、早くも最新型ベースのル・マン挑戦初で表彰台を手中にしている。

 

 

「速さ」だけで持てはやさない伝統を重んずる空気

 

そのクルマとは、前出の映像や写真でご覧頂いた通りで、シボレーブランド傘下のコルベットのことである。同車は先代のC6辺りから車体のコンパクト化を加速。今や世界に数多有るリアルスポーツカーに対抗しうる絶対性能を備えるに至っている。

 

そもそもコルベットは、スタンフォード大学時時代に「馬なし馬車」の図面を描いて過ごし、後にGMの初代副社長を務めたハーリー・アール(Harley Earl)が、第二次大戦後、若い戦士たちが祖国に持ち帰ってきた欧州車に影響を受け、開発されたクルマと云われている。

 

 

同時期に生まれたフォードのサンダーバードと同じく、爽快なオープンエアがを楽しめる欧州風スポーツカーとして誕生した同車は、その後、V8人気の高まりに乗じて、押しも押されぬ本格スポーツカーに育ち、米国人にとってはヨーロッパ的な音の響きを持つ「シボレー」の冠ブランドも相まって大変人気がある。

 

 

またご当地米国では、こうした熱狂的とも取れるシボレー車ファンを「ボウタイピープル」と呼んでいるが、この「シボレー」と「ボウタイ」、それは永きに亘って切っても切れない密接な関係がある。

 

しかし一方で、このボウタイマーク誕生の経緯については、絶対的な裏付けがないまま、今日でも複数の説が唱えられている。

 

謎に包まれた「ボウタイマーク」誕生の経緯

 

後にシボレーというブランドを生みだすことになったルイ-ジョセフ・シボレー(Louis Joseh Chevrolet)は、元々はスイス出身だが、幼い頃に移り住んだフランスでエンジニアリングの基礎を学び、樽からワインを抽出するためのポンプを発明したり、自身が設計した自転車でレースに参加するなど、なかなかの活動家だった。

 

そんな彼が、さらなる活躍の場を求めて高度成長真っ直中のアメリカにやってきて、米国の自動車レースの世界でナンバーワンレーサーの称号を獲るまでには、それほど時間は掛からなかった。

 

そんな彼に目を付けたのが、現在の巨大自動車メーカーGMの育ての親であり、後に意外な運命を辿ることとなるビリー・デュラント(William Crapo Billy Durant)である。

 

デュラントは当時人気ナンバーワンのレーサー、シボレーの名声を武器に新ブランド「シボレー」の創設に奔走した。そこで生まれたのがシボレーのシンボルとなったボウタイマークだ。

 

 

そのマークの発祥については幾つかの諸説があり、1961年に発行されたシボレー・ストーリー50周年号からなる説のひとつでは、デュラントが1908年、フランスで滞在したホテルの壁紙の一部を「素晴らしいネームプレートになる」と、その壁紙の一片を持ち帰ったいうものがある。

 

ふたつ目の説は1912年、アメリカ南部バージニアにある温泉ホテルのスイートルームで、ふと眼にした地方新聞の広告に載っていたボウタイマークをデュラントが気に入り「これはシボレーに相応しい紋章になると思うよ」と、妻のW.C.デュラン夫人に語ったという説。

 

さらに「ある夜、スープとフライドチキンなどが並ぶデュラント家の夕げのテーブル上で、デュラント自身がスケッチしたと思う」と、娘マージョリー・デュラントが1929年に「私の父」で記した説もある。

 

1986年に刊行されたシボレー・ストーリー75周年記念誌では、こうしたボウタイマーク誕生の秘話について、ビリー・デュラント自身がパリのホテルの話と妻の新聞説の双方を認めたとされている。

 

これを執筆したシボレー・メディアプロダクションによると「マークの出生がどんな形であれ、ボウタイは今日のシボレーのトレードマークであることに変わりない」と述べたという。

 

ちなみに1900年当時の南部地方紙を探ると「サザン・コンプレスド石炭会社」が掲載したボウタイ広告が現実に存在していて、そこにはCから始まる「コーレッツ」という9つの文字列のなかで中央のEを大きく強調。何げにそれをフランス風に読ませる工夫をしているなど、ある意味シボレーのボウタイマークと良く似ているものがある。

 

 

このコーレッツというのは、小さいとか小型であるという意味の造語だそうで、新聞広告には円の中に「たくさんの熱を作り出す小さな石炭」というスローガンが描かれている。

 

サザン・コンプレスド石炭会社のマークとの関連性という意味では、デュラントが創生期に造った「リトル・モーター自動車会社」のマークが丸いネームプレートの紋章で、なかに「little」が書き込まれ、内側に「赤く熱する」背景が描かれている。

 

ちなみにサザンコンプレスド石炭会社がボウタイロゴをこのようにデザインした意図は、一般大衆がこの造語を発音し易くするためだったといわれている。こうしたことを考えると、デュラントはこの発想をヒントに「シェヴ・ロ・レイ」と言う読み方を発明したのかもしれない。

 

双方の紋章は背景が暗く、白の境界線と白字を使用しており、違いはコーレットの方が流れる様な傾体文字で描かれているのに対して、シボレーの方はローマ調文字で中央の3文字分が若干角張っている。

 

果たしてデュラントは将来の参考として、サザンコンプレスド石炭会社のマークを新聞から切り取って保存していたのだろうか。今となってはそれを完全に解明する術はないようだ。

 

その後、シボレーのボウタイマークはブルーにシルバー枠を基調とした立体タイプや、スポーツイメージを強く打ち出した赤いシルエット。ライトトラック用に採用するゴールド基調など多種多様になっている。しかしどれも高いデザイン性と強い訴求力で、シボレーのイメージを高めていることは確かなようだ。

CLOSE

坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。