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2021年2月16日【エネルギー】

理研と産総研、量子ビットの電気的操作を初制御

NEXT MOBILITY編集部

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理化学研究所(理研)と産業技術総合研究所は2月16日、音波によって輸送される単一電子の量子力学的な運動を制御し、電子の軌道状態[1]で定義される量子ビット[2]の電気的操作を初めて実現したことを発表した。

 

 

表面弾性波による電子輸送の概念図と試料の電子顕微鏡写真

 

理化学研究所(理研)創発物性科学研究センター量子電子デバイス研究チームの伊藤諒特別研究員、山本倫久チームリーダー、量子機能システム研究グループの樽茶清悟グループディレクター、産業技術総合研究所物理計測標準研究部門高田真太郎研究員らの国際共同研究グループは、音波によって輸送される単一電子の量子力学的な運動を制御し、電子の軌道状態[1]で定義される量子ビット[2]の電気的操作を初めて実現した。

 

[1]軌道状態:量子力学において粒子がとる波としての形状。波の振幅は、確率的な空間分布に対応している。
[2]量子ビット、量子ビット演算:量子コンピュータを構成する情報要素。通常のコンピューターにおいて最小の情報「ビット」は0か1かで表されるが、「量子ビット」においては0と1の状態の両方を任意の割合で合わせることが許される。量子ビット演算は量子ビットの状態を操作すること。例えば、0と1の割合を入れ替える操作など。

 

伝搬する電子を用いた量子コンピュータ[3]の実現に向けた第一歩に
「飛行量子ビット[4]」と呼ばれる光子や電子が伝搬する量子ビットを用いて量子コンピュータを構成すると、固体を用いた他の量子コンピュータシステムに比べて、システムの構築に必要なハードウエアが劇的に小さくなる。しかし、量子コンピュータシステムの構築に適する、電子を用いた固体の飛行量子ビットの電気的操作は実現していなかった。

 

今回、国際共同研究グループは、ガリウムヒ素(GaAs)半導体基板の中に二つの経路(電子の通り道)を用意し、電子が量子力学的なトンネル効果[5]によって経路間を行き来できるようにした。そして、音波の一種である表面弾性波[6]に単一電子を閉じ込めて安定に輸送し、輸送された単一電子が二つの経路のどちらに存在するかで定義される飛行量子ビットに対する電気的な量子演算素子である「ビームスプリッター[7]」を実現した。

 

この研究は、科学雑誌『Physical Review Letters』の掲載に先立ち、オンライン版(2月16日付)に掲載される。

 

[3]量子コンピュータ:量子ビットを用いて計算を行う機械のこと。量子計算機とも呼ばれる。因数分解など
の計算を、従来のコンピューターよりも圧倒的な速さで実行できる。
[4]飛行量子ビット:運動する粒子に対して定義された量子ビット。
[5]トンネル効果:レールの上でボールを転がしたとき、ボールの持っているエネルギーを超える山をボールは乗り越えることができない。これは通常の力学における基本原理であるが、微小な粒子の運動を記述する量子力学の世界においては正しくない。粒子は山を乗り越えるのではなく、通り抜けて先に進むことができる。この現象はトンネル効果と呼ばれる。
[6]表面弾性波:物質表面を伝わる音波の波。音は空気中では空気分子の振動の波として伝わるが、物質中では物質を構成する結晶格子の振動の波として伝わる。
[7]ビームスプリッター:伝導する粒子を二つの経路に分割する素子のこと。粒子はビームスプリッターを通過することで、二つの経路の両方に一定の割合で存在する重ね合わせ状態になる。1粒子に対する量子ビット演算の一種である。

 

<国際共同研究グループ>
– 理化学研究所 創発物性科学研究センター
・量子電子デバイス研究チーム
 特別研究員 伊藤 諒 (いとう りょう)
 チームリーダー 山本 倫久 (やまもと みちひさ)
・量子機能システム研究グループ
 グループディレクター 樽茶 清悟 (たるちゃ せいご)
– 産業技術総合研究所 物理計測標準研究部門
 研究員 高田 真太郎 (たかだ しんたろう)
– ルール大学ボーフム校 実験物理学科
 研究員 アルネ・ルドウィグ(Arne Ludwig)
 教授 アンドレアス・ヴィーク(Andreas D. Wieck)

 

<研究支援>
研究は、科学技術振興機構(JST)戦略的創造研究推進事業 CREST「量子状態の高度な制御に基づく革新的量子技術基盤の創出(研究総括:荒川泰彦)」の研究課題「半導体非局在量子ビットの量子制御(研究代表者:山本倫久)」、日本学術振興会(JSPS)科学研究費助成事業新学術領域研究(研究領域提案型) 「ハイブリッド量子科学」の「固体の電子波の量子もつれ制御(研究代表者:山本倫久)」、 同基盤研究 S「量子対の空間制御による新規固体電子物性の研究(研究代表者:樽茶清悟)」、同基盤研究 B「単一飛行電子を用いた量子電子光学実験の基盤技術の開発(研究代表者:高田真太郎)」による支援を受けて行われた。

 

 

1.背景
近年、量子コンピュータが従来のコンピューターでは困難なタスクを実行できる可能性が示されたことから、多くの物理系において量子コンピュータを構築する試みがなされている。例えば、固体の量子情報分野では、人工原子[8]中の電子スピン[9]や超伝導回路などで定義される、局在した多数の量子ビットを制御する研究が世界的な注目を集めており、集積化技術の開発が急速に進展している。

 

一方、光学の分野では、伝播する光の量子状態で定義される「飛行量子ビット」を制御する研究が精力的に行われている。光をループ回路中で伝搬させるなどの方法により、少数の量子演算回路のみで多数の量子ビットを任意に操作できることから、光の飛行量子ビットは大規模な量子計算に適していると考えられている。飛行量子ビットの研究は、これまで主に光学の分野で進められてきた。

 

一方固体中を伝搬する電子についても、飛行量子ビットを定義することで、少数の演算回路で多数の量子ビットを任意に操作できると考えられている。固体中を伝搬する電子をそのような飛行量子ビットとして機能させるための重要な条件の一つは、それぞれの電子に対して選択的に量子ビット演算ができることで、言い換えると、空間的に互いに分離した状態で伝搬する「単一電子」の量子状態を制御する必要がある。しかし、伝搬する単一電子の量子状態の電気的な制御は、まだ実現していなかった。

 

光学実験においては、光の粒子である光子の伝搬経路を量子力学的に分岐させる「ビームスプリッター」によって飛行量子ビットに対する量子演算を行うことが可能だ。同様に、伝搬する単一電子の場合もビームスプリッターを実現することが最初のステップとなる。

 

[8]人工原子:電子を微小空間に閉じ込め、天然の原子と同様に離散的なエネルギーを持つようにしたもの。
[9]電子スピン:電子の持つ量子力学的自由度の一つ。電子の自転を特徴づける。右回りの電子スピンと左回りの電子スピンがある。

 

2.研究手法と成果
近年、ガリウムヒ素(GaAs)半導体を用いて、単一電子を音波の一種である表面弾性波の流れに乗せて、周囲から孤立させて運ぶ技術が開発された。この技術を用いると、電子を一定の時間・空間間隔で輸送できる。今回、研究グループは表面弾性波によって輸送される単一電子の量子力学的なビームスプリッターの実現を目指した。

 

ビームスプリッターとしては、二つの平行に並んだ電子伝導経路を量子力学的なトンネル効果によって接合した構造を採用(図1)。この構造は半導体の微細加工技術を用いて形成され、二つの経路間のトンネル効果の強さを電気的に調整できる。

 

図1 表面弾性波による電子輸送の概念図と試料の電子顕微鏡写真

 

表面弾性波は、図左のような櫛形の電極構造に交流電圧をかけることによって、表面近傍の結晶の歪みの波として発生する。電子は、結晶の歪みによってもたらされる動く電場に捕らえられて1個単位で伝搬する。右の写真で、白い輪郭で縁取られて見える部分は電極を示している。この試料は、電極構造の周辺に電子が入ることができないように調整されており、電極の間に電子が伝搬する経路が上下に二つ形成されている。両矢印で示すように、電子はトンネル効果によって中央の細い電極部分を挟んで反対側の経路に移動できる。このようなトンネル効果の強さは、電極に加える電圧によって制御できる。青丸は伝搬する単一電子を模式的に示している。1µmは100万分の1メートル。

 

このトンネル効果の強さを調整することで、表面弾性波によって輸送される単一電子が量子力学の原理に従って経路間を行き来する様子を捉えることに成功した。この量子力学的な電子の振る舞いは、経路を構成する電極に加える電圧を変化させた際の電流の振動として計測され、計測された電流の振動を量子力学的な電子の運動モデルに基づく計算結果と比較し、量子的な電子のビームスプリッターが実現していることを確認した(図2)。同時にこの結果は、輸送される単一電子が二つの経路のどちらに存在するかで定義される飛行量子ビットを電気的に制御できることを意味している。

 

実験では、トンネル効果による電子の運動が、電子の各経路内部の軌道状態にも強く影響を受けている様子も観測された。また、電流の温度依存性から、輸送される電子が周囲からの雑音によって量子力学的な情報を失うデコヒーレンスの影響をほとんど受けていないことも確認されている。

 

図2 トンネル電流の電流値測定

 

左は、図1の電極電圧VU、VLを変化させたときに観測される、下の経路の出口における電流の振動ΔI2のグラフ。グラフの縦軸である(VU + VL)/2が変化する方向に電圧 VU、VLを変化させると、伝導経路の接合部での電子のトンネル効果の強さが変化する。右の模式図は、各電極電圧条件における電子の伝導軌道を模式的に示している。トンネル効果を強くしていくと、電子の伝導軌道が量子力学の原理に従って変化するため、電流が単調に減少せずに振動する。この振る舞いは、量子力学的なビームスプリッターの特徴である。グラフの横軸VU-VL方向の電流振動は、電子の軌道状態の違いを生成原因としている。

 

3.今後の期待
この研究では、表面弾性波で輸送される単一電子に対する量子的なビームスプリッター操作を実現した。これは、量子コンピュータの構成が可能な軌道の飛行量子ビットに対する重要な量子演算を実現したことに相当する。

 

電子系で定義される飛行量子ビットを用いて量子コンピュータを構築するための研究は、これまでほとんど進展していなかった。この研究成果は、電子の飛行量子ビットを用いた量子コンピュータの実現に向けた重要なステップであると考えられる。電子系では、単一電子源や単一電子検出の技術がほぼ確立しており、伝搬する電子間の相互作用を演算に利用できるなどの長所がある。

 

今後は、量子コンピュータの構築に耐え得る高い精度での量子演算の実現が課題となる。

 

4.論文情報
<タイトル>
Coherent beam splitting of flying electrons driven by a surface acoustic wave
<著者名>
R. Ito, S. Takada , A. Ludwig, A. D. Wieck, S. Tarucha, M. Yamamoto
<雑誌>
Physical Review Letters

 

5.発表者・機関窓口
<発表者>
– 理化学研究所 創発物性科学研究センター
・量子電子デバイス研究チーム
 特別研究員 伊藤 諒 (いとう りょう)
 チームリーダー 山本 倫久 (やまもと みちひさ)
・量子機能システム研究グループ
 グループディレクター 樽茶 清悟 (たるちゃ せいご)
– 産業技術総合研究所 物理計測標準研究部門
 研究員 高田 真太郎 (たかだ しんたろう)

 

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。