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2023年9月21日【企業・経営】

ホンダ、米四輪レース子会社がF1を担当

NEXT MOBILITY編集部

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HRC US IMSA参戦車両「Acura ARX-06」イメージ。

HRC US IMSA参戦車両「Acura ARX-06」イメージ

ホンダ四輪+HRC・ロゴホンダは9月21日、米国の四輪レース開発子会社である「Honda Performance Development(ホンダ・パフォーマンス・デベロップメント/以下、HPD)」が社名を、来年から「Honda Racing Corporation USA(ホンダ・レーシング・コーポレーション・ユーエスエー/以下、HRC US)」に変更すると発表した。

 

併せてHRC USは、北米のみならずFIA(国際⾃動⾞連盟)フォーミュラ・ワン世界選手権(以下、F1)を含むホンダのグローバル四輪モータースポーツの活動を担当する。

 

これにより日本のホンダ・レーシング(HRC)と共に、独立したホンダのレース開発専門子会社としての強みを持ち寄り、ホンダの四輪モータースポーツの開発力をグローバルで高めていく構え。

 

ちなみにHRCは、1982年に二輪のレース用車両・パーツの開発、販売を目的として、埼玉県朝霞市で設立された。

 

以後40年に亘って、ロードレースやモトクロス、トライアル、ラリーレイドなど、様々なカテゴリーの世界選手権や国内選手権で勝利を獲得。2022年には、F1を含む四輪レース開発機能が合流し、栃木県さくら市を拠点とする「HRC Sakura」が設立されている。

 

上記により四輪レースの開発機能を有したHRCは、HRC Sakuraを中心に、「Red Bull Powertrains(レッドブル・パワートレインズ/レッドブル・グループ内でF1向けパワーユニットを開発・製造する目的で2021年2月16日に創業)」へ、F1用のパワーユニット(PU)に関する技術支援を実施。「Oracle Red Bull Racing(オラクル・レッドブル・レーシング)」のタイトル獲得に貢献した。

 

なお同活動は、2026年からは「Aston Martin Aramco Cognizant Formula One Team(アストンマーティン・アラムコ・コグニザント・フォーミュラ・ワン・チーム)」へのPU供給を開始する予定だ。

 

対して今回社名をHRC USへする予定のHPDは、インディカー・シリーズ(以下、インディカー)へのエンジン供給を目的にホンダの米国販売子会社である「アメリカン・ホンダモーター(American Honda Motor)」の100%子会社として1993年に設立。

 

以後、30年に渡ってインディカーをはじめ、IMSA(国際モータースポーツ協会)ウェザーテック・スポーツカー選手権(以下、IMSA)、SCOREバハ1000への参戦をはじめ、ツーリングカーやジュニアカテゴリーレースなどにも挑戦した。

 

上記インディカーでは、合計410戦中180勝・13回のドライバータイトルと10回のマニュファクチャラーズタイトルに加え、伝統のインディアナポリス500マイルレース(インディ500)では佐藤琢磨選手の2回を含む15回の優勝を達成。

 

さらにIMSAにはアキュラ(Acura)ブランドで参戦し、2018年から現在までにデイトナ24時間レースを3度制覇、年間ドライバータイトルとマニュファクチャラーズタイトルもそれぞれ3回獲得している。

 

なお、新社名のHRC USとしての初レースは、来たる来年1月27日~28日にフロリダ州で開催されるデイトナ24時間レース。昨年、デビュー戦で優勝した「Acura ARX-06がHPDロゴ」を「HRCロゴ」に改め、24時間の耐久レースを戦う。

 

HPD概要

– 設立:1993年
– 本社所在地:米カリフォルニア州サンタ・クラリータ(Santa Clarita、LAから北へ約50km)
– 他施設:米インディアナ州インディアナポリス郊外にも開発拠点あり。
– 社長:デイビッド・ソルターズ(David Salters)
– 従業員数:約300名
– 資本:アメリカン・ホンダモーター100%子会社(社名変更後も変更なし)
– 参戦カテゴリー:インディカー、IMSA、SCORE バハ1000、Formula Regional America他。

– 新社名:Honda Racing Corporation USA
– 社名変更時期:2024年1月予定

 

 

[代表者のコメント]

・HRC 代表取締役社長 渡辺康治氏

「HRCブランドを高め、ホンダのモータースポーツ活動を持続していくために、日米ホンダのモータースポーツ開発力を束ねた一体運用は大きな力になるでしょう。日米HRCのエンジニアが協調すればより強くなることができると確信しています。アメリカのスタッフがHRCの仲間になることを心より歓迎します」。

 

・HPD社長 デイビッド・ソルターズ(David Salters)氏

「HPDには有能な技術者たちが切磋琢磨して、過去30年に渡る北米でのホンダのレーシング・ヘリテージ構築に貢献してきた実績があります。これからはグローバルなレース組織の一員として、日本のHRCメンバーと共に世界のレース界でホンダ・レーシングを体現していく役割を担うことを光栄に思います。変わらず米国でのレース活動に取り組みながら、グローバルな舞台で人と技術を磨いていきます」。

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。