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2019年11月17日【経済・社会】

ホンダ、2輪GPで個人・チーム・メーカータイトルの3冠獲得

NEXT MOBILITY編集部

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ホンダ・ロゴ

 

 MotoGPは、第19戦バレンシアGP(リカルド・トルモ・サーキット)でシリーズ最終戦を迎え、決勝レースでレプソル・ホンダ・チームのマルク・マルケスが優勝。結果、ホンダは2輪ロードレースの世界選手権で、既に獲得していたマルク・マルケスによる個人タイトル、先の日本GPで確定したメーカータイトルに加えて、ワークス体制のレプソル・ホンダ・チームがチームタイトルを獲得した。

 

 

マルク・マルケスのチームメイトとして、この1年間、レプソル・ホンダ・チームとして戦ったホルヘ・ロレンソは13位に終わり、ロレンソは、かねてより現役引退を表明していたことから、この結果を以て現役生活を終えた。

 

 決勝レースは気温15度・路面温度16度のドライコンディション下でスタートが切られた。この決勝に先立つ予選では、エンジンパワーのハンディキャップをコーナリング性能で克服してきたヤマハ陣営が気を吐き、今季がルーキーイヤーだったペトロナス・ヤマハSRTのファビオ・クアルタラロがポールポジションを獲得した。

 

しかし実際にホールショットを奪ったのは、テクニカルコースを苦手としてきたドゥカティを駆るプラマック・レーシングのジャック・ミラーで、程なくこれをクアルタラロがひっくり返しレースをリードしていく。

 

 

ヤマハに乗るクアルタラロは今シーズン、ルーキーらしらぬ活躍でこれまでの2019年シーズンを牽引していく存在となっていたのだが、2周目にマルク・マルケスが2番手に浮上。8周目の11コーナーで、マルケスが難なくクアルタラロを捉えてトップに躍り出る。

 

その後、マルケスは徐々にクアルタラロとの差を広げて首位を守るという安定感を見せてシーズン最終戦を飾った。これでマルケスは2019年シーズン12勝目。このMotoGPという最高峰クラスだけの計算でも通算56勝目をマーク。1シーズンの個人成績でも前人未踏の420ポイントを計上するという圧倒的な強さを見せた。

 

 

 レプソル・ホンダ・チームが、バレンシアGPに至る最終戦でようやくチームタイトルを獲得した理由は、今季のチームタイトルの殆どをマルク・マルケスが稼ぎ出したためで、結果、個人、コンストラクター、チームの3冠達成には最終戦を待たねばならなかった。なお先の通り同レースを限りに現役を引退するロレンソは13位で最後のチェッカーを受け最後のレースの幕を下ろした。

 

ホルヘ・ロレンソ選手(32歳)はこの決勝レースに先駆ける11月14日に記者会見を開き、このバレンシアGPをもってMotoGPから引退することを発表していた。なおこのロレンソの離脱で空いたシートについては、GPパドックでも様々な噂が挙がっており、最もインパクトがある説では、今季Moto2クラスのチャンピオンとなったマルケスの弟、アレックス・マルケスが座って兄弟によるワークスチーム誕生という予想も飛び出しているようだ。

 

 今大会で297戦目となるのロレンソ選手は、MotoGP全クラス通算で5度のチャンピオンを獲得。下位のMoto2・Moto3クラスから積み上げてきた全てのMotoGPキャリア18年間を通して68勝を含む152回、表彰台に立ち69回のポールポジション、37回のファステストラップを獲得し、安定した成績を残した。

 

 

 

 

15歳で世界戦デビュー

 

2002年のスペインGPの大会2日目に15歳の誕生日を迎え、世界戦デビューを果たしたロレンソ選手は、翌2003年のブラジルGPでアウトコーナーを狙う特徴的な走りで初優勝。125ccクラスで4勝を挙げ、2005年には250ccクラスへステップアップした。

 

その後、2006年、2007年に同クラスを連覇し、3年間で17勝、29回の表彰台と圧倒的な成績を残した。

 

 

 

 

二輪レース最高峰のMotoGPデビュー

 

2008年、最高峰のMotoGPクラスでデビューしたロレンソ選手は、開幕から3戦連続でポールポジションを獲得し、表彰台にも登壇。3戦目で最高峰クラス初優勝を成し遂げた。デビューシーズンは、転倒による負傷も影響し、タイトルには届かなかったもののランキング4位、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。

 

そして翌2009年にはランキング2位に浮上。2010年にはシーズン18戦すべてを、4位以内でフィニッシュし、表彰台を逃したのは2戦のみという圧巻の走りを見せ、最高峰クラスでの初タイトルを獲得。スペイン人ライダーによる最高峰クラスでのチャンピオンは、アレックス・クリビーレに次いで2人目。また、この年の獲得ポイント383は、その後10年近く破られることのない記録となった。

 

2012年には、シーズン19戦中17戦で表彰台に登壇し、2度目のタイトルを獲得。2015年に、マルク・マルケス選手、バレンティーノ・ロッシ選手との激しい争いを経て、最終戦で3度目のタイトルを獲得した。

 

 

 

 

チーム移籍。そして引退へ

 

その後、チームを移籍したロレンソ選手は、3勝と7回の表彰台を獲得。2つ目のマニュファクチャラーでも勝利を挙げた。

 

2019年には、ホンダワークスチームのレプソル・ホンダへ移籍。シーズン前のトレーニング中の負傷にもかかわらず、RC213Vの習熟を進めたが、オランダGPで激しい転倒を喫して、4戦の欠場を余儀なくされた。

 

 

 

 

ロレンソ選手のMotoGPクラスでの表彰台114回は歴代2位、全クラス通算で69回のポールポジションも歴代2位、最高峰クラス47勝は歴代5位、最高峰クラスでの総獲得ポイント2896は歴代3位。ロレンソ選手は、輝かしい成績を残してグランプリを後にする。

 

 

 

 

ホルヘ・ロレンソ選手は引退会見で、以下のように話している。

 

「今大会がMotoGPでの最後のレースとなり、私はレースの世界から引退します。
 3歳のころからレースに触れ、30年近くを過ごしてきました。一緒に働いた人たちは、私が完璧主義者で、それを成し遂げるためにどれだけ懸命に取り組んできたかを理解してくれていると思います。それを継続するためには、高いレベルのモチベーションが必要です。
 ホンダと契約したときには、誰もが夢見るHRCワークスライダーとなり、素晴らしいモチベーションがありました。残念ながら今季はケガによっていつも通りのライディングができませんでした。シーズン前のモンメロでのテストで激しいクラッシュを喫し、その後アッセンでの転倒によって欠場も余儀なくされました。
 これによって、自分の越えるべき山が非常に高いことを痛感し、それでも挑戦を続けましたが、モチベーションを見いだせなくなり、この山を登り続けることができなくなりました。
 私自身、非常に残念に思っていますし、常に素晴らしいサポートをしてくれた、アルベルト・プーチさん、(横山)健男さん、桒田(哲宏)さん、野村(欣滋)さん、そしてチームの全員に申し訳なく思っています。ホンダのサポートに感謝していますし、私のキャリアに関わってくれたすべての人に心からお礼を申し上げます」。

 

 

 

 

また、本田技研工業の執行役員で二輪事業本部ものづくりセンター所長および、ホンダ・レーシング代表取締役社長の野村欣滋氏は、以下のように話している。

 

「ホルヘ・ロレンソ選手がレースの世界を去ってしまうのは、とても悲しいです。
 ロレンソ選手は過去10年間で最強のチャンピオンの一人でした。以前はライバルとして相対し、現在はチームメートとして一緒に戦ってきました。
 彼をRepsol Honda Teamに迎えるのはまたとないチャンスであり、彼と一緒に戦うことを心待ちにしていました。しかし残念ながら、シーズン前のけがやアッセンでの転倒があり、思うような活躍ができませんでした。
 彼はかつて持っていた自信を取り戻すことができず、引退にともなってRepsol Honda Teamライダーとしての私たちとの関係も、残念ながら終止符を打つことになりました。株式会社ホンダ・レーシングを代表してロレンソ選手の今後の活躍をお祈りします」。

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坂上 賢治

NEXT MOBILITY&MOTOR CARS編集長。日刊自動車新聞を振り出しに自動車産業全域での取材活動を開始。同社の出版局へ移籍して以降は、コンシューマー向け媒体(発行45万部)を筆頭に、日本国内初の自動車環境ビジネス媒体・アフターマーケット事業の専門誌など多様な読者を対象とした創刊誌を手掛けた。独立後は、ビジネス戦略学やマーケティング分野で教鞭を執りつつ、自動車専門誌や一般誌の他、Web媒体などを介したジャーナリスト活動が30年半ば。2015年より自動車情報媒体のMOTOR CARS編集長、2017年より自動車ビジネス誌×WebメディアのNEXT MOBILITY 編集長。

松下次男

1975年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として国会担当を皮切りに自動車販売・部品産業など幅広く取材。その後、長野支局長、編集局総合デスク、自動車ビジネス誌MOBI21編集長、出版局長を経て2010年論説委員。2011年から特別編集委員。自動車産業を取り巻く経済展望、環境政策、自動運転等の次世代自動車技術を取材。2016年独立し自動車産業政策を中心に取材・執筆活動中。

間宮 潔

1975年日刊自動車新聞社入社。部品産業をはじめ、自動車販売など幅広く取材。また自動車リサイクル法成立時の電炉業界から解体現場までをルポ。その後、同社の広告営業、新聞販売、印刷部門を担当、2006年に中部支社長、2009年執行役員編集局長に就き、2013年から特別編集委員として輸送分野を担当。2018年春から独立、NEXT MOBILITY誌の編集顧問。

片山 雅美

日刊自動車新聞社で取材活動のスタートを切る。同紙記者を皮切りに社長室支社統括部長を経て、全石連発行の機関紙ぜんせきの取材記者としても活躍。自動車流通から交通インフラ、エネルギー分野に至る幅広い領域で実績を残す。2017年以降は、佃モビリティ総研を拠点に蓄積した取材人脈を糧に執筆活動を展開中。

中島みなみ

(中島南事務所/東京都文京区)1963年・愛知県生まれ。新聞、週刊誌、総合月刊誌記者(月刊文藝春秋)を経て独立。規制改革や行政システムを視点とした社会問題を取材テーマとするジャーナリスト。

山田清志

経済誌「財界」で自動車、エネルギー、化学、紙パルプ産業の専任記者を皮切りに報道分野に進出。2000年からは産業界・官界・財界での豊富な人脈を基に経済ジャーナリストとして国内外の経済誌で執筆。近年はビジネス誌、オピニオン誌、経済団体誌、Web媒体等、多様な産業を股に掛けて活動中。

佃 義夫

1970年日刊自動車新聞社入社。編集局記者として自動車全分野を網羅して担当。2000年出版局長として「Mobi21」誌を創刊。取締役、常務、専務主筆・編集局長、代表取締役社長を歴任。2014年に独立し、佃モビリティ総研を開設。自動車関連著書に「トヨタの野望、日産の決断」(ダイヤモンド社)など。執筆活動に加え講演活動も。

熊澤啓三

株式会社アーサメジャープロ エグゼクティブコンサルタント。PR/危機管理コミュニケーションコンサルタント、メディアトレーナー。自動車業界他の大手企業をクライアントに持つ。日産自動車、グローバルPR会社のフライシュマン・ヒラード・ジャパン、エデルマン・ジャパンを経て、2010年にアーサメジャープロを創業。東京大学理学部卒。

福田 俊之

1952年東京生まれ。産業専門紙記者、経済誌編集長を経て、99年に独立。自動車業界を中心に取材、執筆活動中。著書に「最強トヨタの自己改革」(角川書店)、共著に「トヨタ式仕事の教科書」(プレジデント社)、「スズキパワー現場のものづくり」(講談社ピーシー)など。